死を通して生を知る

こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。

大切な人を失う喪失感を癒す

昨日はカウンセリングの研修を受けに行きました。
昨日のお題は「グリーフケア」

グリーフとは、悲哀とか悲嘆とかいう意味です。
大切な人を無くした、あるいは、家族のように可愛がっていたペットを失った(ペットロス)場合に、大きな喪失感を感じます。

その喪失感をどのように乗り越えていくか。
その喪失感のただ中にいる人を、どのようにケアしていくのか。

それがテーマでした。

また、自分が死ぬとき、死を目前にした人に寄り添う、「ターミナル・ケア」についても勉強しました。

どちらも、命というとても大切なものを喪失するという経験を、どのように受け入れて乗り越えて、それを前向きにとらえていけばよいのかということを学びました。
それは、重いテーマでしたが、どうじに命の素晴らしさと荘厳さを感じる時間となりました。

人は必ず死に直面する

考えてみれば、人間はいずれ死にます。
これはもう100%です。

自分も絶対に死ぬし、周りの人たちもいずれ死にます。
大切な人も必ず死ぬ。

これは運命です。
受け入れるしかないことなのです。

大切な人を失うという経験は、誰もがすること。
そして、自分が死ぬという経験も誰もがすること。

それなのに、私たちはそのことについて、その時にどうすればいいのかについて、学ぶ機会はほとんどありません。

死を通して生を学ぶ

人が死ぬとき、その人の人生を振り返ります。
その人の生きざま、その人からしてもらったこと、その人を通して学んだこと。
そして、自分の生き方を振り返ります。

人の死に直面した時、人生とは何だろうかと、考える機会を得ることが出来ます。
そこからまた、さまざまな学びを得ることが出来るのです。

人は自分の死をもって、周りの人たちに、考えるチャンスを与えているのだと思います。

肉体は滅びても魂は生きている

実は今年、私が大学時代にお世話になった、学生寮の管理人さんが亡くなりました。
当時は、ご夫婦で住み込みで管理してくださり、私たち学生の親代わりをしてくれた、大切な方です。

昨日、まさに、私がこのグリーフセラピーの講義を聴いている最中に、当時お世話になった学生が集まって、寮のおじさんを偲ぶ会を学生寮で開催していたのです。

私の母校は福岡にあります。
私は仕事の関係や家庭の事情で福岡には行けませんでした。

それでも、当時の仲間たちがおじさんを偲ぶ会を開いているまさにその時に、このような講義を受講しているなんて、偶然を超えた力がはたらいているように感じました。

人は死んで、その肉体がなくなったとしても、その人の存在は関係した人々の心の中に生き続けます。
魂は生きているのだと思います。
そのことを実感します。

人生は学びの場

人は必ず死にます。
死を意識するとき、その反対側にある生も強く意識ます。

生きているということは、それだけで奇跡です。
ありがたいこと。
そこのことに感謝したいと思います。

そして、その生を無駄にしたくない。
精一杯、生きていきたいと思います。

生きていれば、自分の思い通りにならないこと、不安なこと、困ったこと、色々あると思います。
それと同じくらい、嬉しいこと、感動することもあると思います。

すべて、人生からの贈り物であり、人生は学びの場なんだと思います。

ふだん、私たちは死を考えることを無意識のうちに避けているような気がします。
でも、死を考えることは、人生を考えることなんだと思います。

いい人生を歩きたいですね

私の考える、理想的な人生は、「笑って死ねる人生」です。
これは、映画「野生の証明」の主題歌「戦士の休息」の中の一節です。

この歌を聴いたのは、中学時代です。
それ以来、私は笑って死ねる人生を生きようと思って来ました。

人は、死から生を学ぶことが出来るのです。
そのことを改めて考えさせられた時間でした。

私たちは死に方を選ぶことはできないかもしれない。
でも、生き方を選ぶことはできます。

悔いのない人生を送りたいものですね。