走りながら時間の使い方について考えた

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こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。

久しぶりのランニング

昨日は、いろいろと考えさせられる出来事が沢山起こりまして、書きたいことが山盛りなのですが、全部書いていられないので、一つだけ書きます。

私はランニングを趣味にしていたのですが、どうも、4月に引っ越して以来、めっきり走る機会が減ってしまっていました。

このブログでも書きましたけれど、会社を立ち上げまして、新しいビジネスを興そうとしているので、やらなければけない事というか、やりたいことが満載なわけです。

そういう状態ですと、ランニングに充てる時間は、積極的に捻出しようとしない限り作ることが出来なかったわけです。

もちろん、意識的に作ろうと思えば作れたわけですけれど、そういう気分にならなかったというわけです。

そういう状態はあまりよくないなあと思って、昨日は久しぶりに近所の公園を一時間ほどジョギングしました。

朝のランニングはたまにやっていたのですが、今日はしっかり走ろう!と決めて走ったのは久しぶりでした。

時間の使い方は自由

仕事ばかりの人生では面白くありません。
やっぱり、楽しみというか、趣味というのは必要です。

さらに言うと、私の場合、ランニングは趣味と言いながら仕事にもつながるので、半分仕事のようなもの。
そんな素晴らしいものなのですから、もっと時間を取らないといけないなあと、走りながら考えました。

一日は24時間。一年は365日。
それはどんな人でも一緒です。

問題は、その限られた時間を、どのように割り振って、どのように使うかということ。
割り振り方は、その人が自由に決めていいわけです。

仕事に全部使おうが、趣味に全部使おうが(それで食っていけるなら)構わないわけです。
もしかしたら、その時間の使い方を自由に設定できるということが、イコール、本当の自由というものなのかもしれません。

時間を切り売りしていていいのか

日本という国は、本当は自由なはずなのに、多くの人は窮屈そうに生きています。
それは、自分の時間を自由に使えていないからではないでしょうか。

そう考えると、やはり長時間労働に問題があるように思います。
時間を拘束されるということは、それだけ自由を奪われるということ。
日本の労働者は、自分の時間を売る事で対価を得ているのかもしれません。

本来ならば、その人が生み出す価値をもって対価を得ているはずなのですが、それがいつの間にか、時間に対する対価になっていることが問題なのかもしれません。

それは理想ではありますが、現実的には、その人の生み出す価値をどう評価するのかという、評価方法の問題などにもつながってくるので、これはなかなか難しい問題だとは思います。

時間の切り売りなら、その価値を測るのは容易ですから、仕方がない面もあるかもしれません。

そんなことをつらつらと考えてしまいました。

もうちょっとランニングに時間を使おう

話は元に戻りますが、私にとってランニングは、実はとても大切なものなのではないかと思い至りました。

意識的に時間を割くだけの価値を生み出しているように思います。

精神的な充実感、爽快感、リフレッシュ。
肉体的な健康、持久力。
人間関係、人脈の構築。

さらに、ランナーのコンディショニングは直接的な収入になっていますし、うつ病の予防にも、治療にも、ランニングは力を発揮します。

単なる趣味の領域を超えて、いろいろなものをもたらしてくれています。
私にとって、時間を割くだけの価値のあるもの。

そのことを再認識しました。
もうちょっと、走る時間を捻出したいと思います。