曖昧さを受け入れる

こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。

不完全な人間が作る不完全な社会

世の中には本当にいろんな人がいます。
そうして、完全な人はいません。

みんな良いところも悪いところも併せ持つ、不完全な人間です。
そういう不完全な人間が社会を形成しているわけですから、いろいろなトラブルが起こるのが世の常です。

まずは、社会とはそういうものであるという前提を受け入れる事が必要です。
いろいろなトラブルが起こるのが人生です。
人生とは、そういうものなのです。

曖昧な問題は曖昧にしておく

そのトラブルを解決するために、法律というルールがあるわけです。
法律に抵触するようなトラブルに巻き込まれたときは、それなりの手段を講じる必要があります。

しかし、法律に抵触しない範囲のことでも、トラブルの種は尽きません。

どちらにも悪意がなく、どちらが悪いか判断がつないような微妙な問題も起こります。
いわゆる、正解のない問題です。
こういう問題に白黒をつけずに、曖昧なままでやり過ごすことも必要なのです。

しかし、それをまた、白黒つけたがる人たちがいることも事実です。
白黒つけようとすればする程、お互いが傷つく。
そういう事もあるのです。

白黒つけようとすると自分が傷つく

その、曖昧さを我慢できずに、自分の正当性、自分の主張を押し付けることによって、問題を大きくして、相手を傷つける。
その行動はやがて自分に跳ね返り、自分を傷つけるという結果になりかねない。

また、そういう風潮が蔓延すると、余裕のないギスギスとした社会を形成していきます。

私は、今の日本の社会が、ギスギスとした余裕のない社会に見えます。
そういう社会の空気が、うつ病をはじめとするメンタル疾患の増加につながっているのだと思うのです。

自分も理不尽さを感じているけれど、相手には相手の事情や考え方があり、そこを考慮に入れて自分の身の処し方を考える必要があるのです。

自分の考え方や意見を一方的に押し付けることが良いことだとは限らないのです。

さじ加減が思いやりあふれる社会を作る

もちろん、これは時と場合によります。
こちらにも譲れないところはあるでしょう。
その線引きはどこなのかと問われれば、とても曖昧な答えしか用意できないのですけれど。

不完全な人間が作る不完全な社会だからこそ、そういう「さじ加減」を覚えていくことが大切なのではないかと思うのです。

それが、よりよく生きる知恵なのではないでしょうか。

相手の立場を思いやり、曖昧さを受け入れる寛容さを持ち、自分を傷つけない判断をすることが、結果的に思いやりあふれる社会を作り、自分を守る事になるのです。

なんだか、今日の記事は抽象的で曖昧なものになってしまいましたね。
言いたいことが伝わるかなあ。

こういう曖昧さも受け入れてくださいね(笑