盆栽が嫌いです

盆栽を趣味にしている人がいたら申し訳ないのですが、私は盆栽が嫌いです。
その理由は、なんだか窮屈そうだな、って思ってしまうからです。

私は若いころ、大人になるというのは、「こうあるべき」という大人像があって、それに近づいていくことだと思っていました。
こう書くと、当たり前のように思われかもしれませんが、これが自分を苦しめている原因だったのです。

イメージとしては、あるべき大人像という型があって、その型に自分を押し込んでいく感じだったのです。

出っ張ってはみ出してしまうところをぎゅっと押し込めて、足りないところを一生懸命埋めていく作業です。
これが私にとっての、「大人になる」というイメージだったのです。

就職して、安定した収入を得て、結婚して、奥さんと子供を養って、家を建て、子供達を大学まで出して、老後はのんびりと過ごす。

そういう型にはまることを、大人になることだと思っていたのです。

こんなイメージを持っていると、窮屈で仕方がなかった。
その窮屈さが、閉塞感となり、やがてうつ病へとつながっていったのです。

盆栽を見ていると、当時の自分を思い出します。
自由に枝を伸ばすことができず、針金で無理やり曲げられて、はさみで切られて、不自然な格好に形を変えられていきます。

もっとのびのびと枝を広げたいだろうに。。
そんな風に思ってしまうのです。

私は盆栽にはなりたくなった。
山に生えている雑木になりたかった。
自分の求める方へ枝を伸ばしたかったのです。

うつ病の辛さに耐えかねて、私は盆栽になることを諦めて、雑木になる決心をしました。
私の中にある大人像という型にはまろうとすることをやめたのです。
そうしないとうつ病は治らないと思ったからです。

その後の人生は、本当に快適です。
自分の好きなように生きています。

やりたいことを一生懸命ににやり、やりたくないことはなるべくやらない。
そうして、出来上がった形が自分の本当の姿なのだと思っています。

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結果は後からついてくる。
僕の前には道は無い。僕の後ろに道は出来る。

そんなイメージです。

もうすでに50歳を超えている私ですが、今後もどんどん枝を伸ばし続けるでしょう。
これから自分の形がどう変化していくのか、とても楽しみです。

人間生きている限りは変化し、成長をしていくのだと思っています。
そう考えると、とてもワクワクしませんか?