自由の本質を学ぶ教育-デンマークから学ぶこと②

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こんにちは!
スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です!

昨日のブログ「幸福な国デンマークの凄さに驚いた件-デンマークから学ぶこと①」に続き、第2弾を書くよ。

今から書くことが、ある意味、デンマークの凄さの本質なんだと思う。
デンマークが幸せな国になったのは、すべてここが起点になっていると思うし、日本とは決定的に違うところだと、僕は思う。

そして、日本が学ぶべきはここなんだと思う。

デンマークの教育が凄い

それは、デンマークの義務教育(日本で言えば、小学校~中学校にあたる)では、「自由の本質を学ぶ」という教育をしている、ということ。

僕は、この言葉を聴いたとき、ものすごい衝撃を受けた。

ああ、これか!
これが、この国の凄さを創り上げ、支えているんだ。
その根源は、やっぱり教育なんだ!

何だろう、すべての点と点が線としてつながった感じ。
そして、日本のダメなところをグサッと突きつけられた感じがした。

日本もここを変えていかなければいけない。
でも、ここを変えていくというのは、日本にとっては非常に困難なことのように思えた。
とても、距離が遠いような気がするのだ。
だから、呆然としてしまったのだ。

カウンセラーとして日々感じていること

私はカウンセラーとして、心病む人たちの話を聴く機会が沢山ある。
自分自身もうつ経験者として、過去に沢山悩んできた。

その中で感じるのは、その方々がものすごく「精神的に不自由」だということ。

人の目が気になる。
人からどう思われているかわからない。
空気を読まなければいけない。
自分の意見が言えない。
親の期待が重い。
失敗が怖い。
普通でなければいけない。
正解でなければいけない。

そういう苦しさを訴える人々。
それが、メンタル疾患の原因になっている。

日本という国は、基本的人権が保障されている自由の国のはず。
それなのに、この国で暮らす人たちの中には、自由を感じることができない人がものすごく多いのだ。

日本は不自由の国

僕は、デンマークの学校に通って、自由の本質というものを習ってみたいと思った。
だって、「自由の本質」って習ったことないよね。
おそらく、日本人でこんなこと習ったことがある、なんていう人はいないよね。

お父さん、お母さんを大切にしましょう。
みんな仲良くしましょう。
目上の人の言うことは聞きましょう。
学校の先生の言うことは聞きましょう。
不必要な発言は控えましょう。

というのから始まって。

和を以て貴しとなす。
長い物には巻かれろ。
郷に入っては郷に従え。

などという言葉もあるくらいだし、「日本は和の国」ということが、繰り返し繰り返し教え込まれている。

これは、言い換えれば「不自由」を教え込まれているようなもの。
これでいいのだろうか、と常々思っている。

これは、デンマークとは全く反対のことをやっているのだ!

「和」とは何か、をもっと本質的に掘り下げていけば、それは個々の「自由」の上に成り立っていなければいけないはずなのに、そこまで深堀されることはほとんどない。

自由の本質とは何か

僕はデンマークで教育を受けていないから、デンマークで教えている「自由の本質」の話をすることができない。

でも、自分がうつになってから、ずーっと考えてきたテーマだし、自分なりに考える自由の本質というのを、ちょっと書いてみたいと思う。

まず、基本的に人間は自由だということ。
これは、自分がどうするかということを、自分で決定できるということ。
この自己決定権をはく奪されることが不自由なのだ。

日本人は、ここが曖昧なのだ。
「自分で自分の事を決定できる。」
ここをもっともっと意識できるようになるだけで、精神的な不自由から解放される人が増えると思う。

ただ、完全に自由であるということは、同時に孤独でもある。
なぜなら、他人を自分の思った通りにコントロールすることはできないからだ。

人は一人では生きていけない。
だから、他人と協力をしなければいけない。
他人と協力をするためには、自分が我慢しなければいけない場面が出てくる。

しかし、その場合でも意見を言うことはできる。
自分の意見を主張して、それが通れば自分の思った通りになるし、通らなければ自分の主張を引っ込めるか、その集団から離れるかを決めればいい。

これを突き詰めていった先に有るのが、民主主義なんだよね。

だから、自由の本質を教えるということは、民主主義の本質を教えるということなんだ。

国民全員が民主主義の本質を理解している


義務教育で、「自由の本質を教えている」ということは、国民全員が民主主義というのものがどういうものかを理解しているのではないかと思う。

だから、政治にも積極的に参加するし、そこで決定されたものに対しては、きちんと受け入れる。

そういう事が、当たり前のこととして、国民に浸透しているのではないかと思う。

自分の意見を言うことができるのは当たり前だけど、自分と違う意見を言う人の自由も侵害しない。
そいうことも、理解しているではないか。

こういう教育が必要であるということを、国が考えているということは、民主主義が成熟しているからだし、こういう教育をしているから、ますます、民主主義が成熟してくのだろうと思う。

どちらが卵かニワトリかはわからないけど、ぐるぐるループして、成熟して行ってるんだろう。

コペンハーゲン

日本との決定的な違い

日本は、この点が絶望的に正反対のことをやっているし、とくに今の政権はますます反対の方向へ行こうとしているように見える。

政権与党は、投票率が下がることを期待している。
なぜなら、投票率が下がれば、組織票が力を持つからだ。

日本の民主主義が全く育っていないことは、選挙への投票率を見ればわかる。
最近の国政選挙では、全体でも5割そこそこだし、若者に限っては30%程度である。

これでは、民主主義とは言えない。

これに対して、デンマークでは、2015年のデータであるが、全体で85%、若い年代でも77%以上の投票率を誇っている。

※参考にしたのはこのサイト→「風のがっこう」
デンマークの選挙での投票率について

日本との大きな違いはここにあるのは明白なのだ。

ここを変えていかなければ、デンマークには追い付けない。
日本を幸せな国にすることができない。

僕は、そのことに気がついてしまって、その道のりを思うと、暗澹たる気分になるのだ。

自由は与えられるものではない

まず、私たちがやらなければいけないのは、自由の本質を考えることではないか。

すべて、ここにカギがあるような気がするのだ。

ブラック企業から逃れられずに過労死する人も、学校から逃れられずに自殺する子どもも、独裁政権になりそうな政府にノーを突きつけないのも、全部、自由というものの尊さと、それを手に入れることの大切さと、その方法を知らないからなのではないか。

そのために自分が何をできるのか。
みんながそれを考え、実行していくことでしか、現状は変えられない。

僕はこのことに、気がついてしまった。

さて、これを読んだあなたはどう感じただろうか?
そして、あなたは、どう行動するだろうか?

この国を作っていくのは、私たちだ。
そのことを忘れてはいけないのだ。