こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
「努力」とか「頑張る」とか、そういう言葉が好きな人多いですよね。
確かに、頑張っている人を見ると応援したくなるし、そういう姿から勇気づけられることもあるし、元気をもらって、よし自分も頑張ろう!って思うこともあります。
でも、心が折れているときには、努力とか頑張るという言葉は聞きたくないですね。
そういう言葉を聞くだけで、心が締め付けられるように感じます。
親のエゴ
子どものころから、がんばれ!と言われて育つ子が多いと思うのです。
私が親になって思うのは、子どもが頑張っている姿を見るとうれしいし、この子は頑張れる子どもなんだと思うと、何となく安心できるんですよね。
逆に、何に対しても頑張る姿を見せてくれないと、何となく不満だし、将来が不安になったりします。
それで、お前もっと頑張れよ、とか、頑張らないと良い人生にならない、とか、人生そんなに甘くないぞ、などと余計なことを言いたくなるのです。
頑張る必要などない、と思っている私でさえ、自分の子どもに対してそんなことを言いたくなってしまうのですから、これは親のエゴなのではないかと思ってしまいます。
頑張るのは義務ではない
頑張るっていうのは、頑張りたいから頑張るのが本来の姿であって、頑張らなければいけいないもの、強要されるようなものではありません。
むしろ、頑張りたいと思える「なにか」に出合うことのほうが大切なのではないでしょうか。
本当は、「なにに」頑張るかというのが大切なのに、肝心の「なにに」という部分を抜きにして、ただ「頑張れ」というだけでは、無用なプレッシャーをかけているにすぎません。
これは、全く意味がない。
意味がないどころか、頑張らなければいけないという潜在意識を植え付けるという意味で、その子の人生を苦しいものにしているだけなのです。
頑張ることが目的ではない
人生は楽しいほうが良いに決まっています。
苦しい人生なんてまっぴらです。
自分が楽しいと思うことを思いきり楽しめばそれでいい。
それで生きていけるのであれば、何も言うことはありません。
楽しいと思うことをやっていけばいいだけです。
自分が満足できる生き方をすればいいだけです。
楽しいことをやっているときというのは、ワクワクしています。
ワクワクしている状態でやっていることは、たとえ傍から見ていて頑張っているように見えても、本人は楽しくてしょうがないのですから、苦しさを感じることはありません。
いや、もうちょっと正確に言うと、その苦しささえも楽しく、充実感を覚えるものなのです。
自分から好んでやっていることなのですから。
どうやっても楽しくない、興味を持てないことを頑張る必要はありません。
頑張るのが人生の目的ではないからです。
ゆるく生きていけばいい
私たちが生きているこの日本とういう国はとても良い国です。
少なくとも、飢え死にすることはありません。
その証拠に、道端で行き倒れている人を見ることは滅多にありません。
少なくとも、私はこの52年間の人生において、一度も見たことはありません。
私たちは、安心して生きていける国に、安心して生きていける時代にいるのです。
ですから、もっとゆるく生きて行っていいのです。
やりたいことがあるなら、やってみればいいのです。
それがうまく行くかどうかは、やってみなければわからない。
うまく行かなかったら、その時になってどうするかを考えればいい。
頑張らなければいけないと思っていると苦しい。
頑張らなくてもいいし、頑張りたければ頑張ればいいのです。
頑張ることがデフォルトではありません。
もっと肩の力を抜いて、ゆるく生きていきませんか。