こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
私がサラリーマンだった頃のこと。
当時は、まだまだ終身雇用が当たり前の時代でした。
サラリーマンは、会社に色々と不満はあるものの、老後のために我慢して働かなければいけないと思ってました。
人生はいつ終わるかわからない
私がうつ病になる直前のこと。
人生に悩みつつも、いわくつきの厄介な案件と格闘していた時、その案件を手伝ってもらっていた業者さんがいました。
その方は、当時の私より少し年上で、奥さんと二歳のお嬢さんがいてのです。
いっしょに仕事をしながら、
「サラリーマンは色々とあるけど、小さな娘の将来のため、自分の老後のために、今は我慢して働かないとダメだよね。」
などという話をしていました。
安定した生活、安定した老後の為に、つまらない仕事も我慢する。
それは当たり前のことだと思っていたのです。
ある時彼は、別件で青森に出張に行くことになりました。
一週間出かけた後に、また、私の仕事を手伝ってくれる予定になっていました。
青森には彼の奥さんの実家がありました。
そこで彼は、奥さんと二歳の娘さんを連れて青森に出かけて行きました。
空港には、奥さんのお父様が車で迎えに来ていたそうです。
この車に乗って奥さん実家に向かう途中、お父様の運転する車は、ダンプカーと衝突して、彼も、奥さんも、2歳の娘さんも一緒に亡くなっまったのです。
昨日まで元気だった人が、今日はもうこの世にいない。
そんなことが起こるんだ、ということを経験しました。
娘の将来のために、いろいろあるけど我慢して頑張ると言っていたその未来は、結局、来なかったのです。
この出来事は、私の人生観に大きな影響を与えました。
人生観がひっくり返った
それまでは、遠い未来のために、今を我慢するのは当たり前だと思っていました。
今を我慢して、遠い未来のために頑張ることで、いい人生が作れると思っていました。
でも、その遠い未来が必ず来るとは限らない。
もしかしたら、自分も今日、車に跳ねられて死んでしまうかもしれない。
その可能性はゼロではない。
もし今、自分の人生が終わってしまったら、はたして僕は、自分の人生はいい人生だったと言えるのだろうか?
いや、そうは思えない。
当時の僕には、そう思えなかったのです。
どこで終わったとしても、死ぬときには、いい人生だったと思いたい。
そのためには、来るかどうかわからない遠い未来よりも、今を大事にしなければいけない。
いい人生とは、充実した「今」を積み上げることによって作られるんだ。
このことに気が付きました。
今をイキイキと生きる
生きづらさを感じながら我慢して生きているとき、突然そこで終わってしまったら、いい人生だと思えるだろうか?
夢を持って、イキイキと生きていれば、たとえ道半ばで倒れたとしても、いい人生だったと思えるのではないでしょうか。
でも、我慢我慢の人生だったとしたら。
そんな風に思えないのではないか。
だとしたら、そんな人生は嫌だ。
私はそう思います。
充実した「今」を積み重ねる。
それがいい人生を作るのだと思います。
未来のために今を我慢している人へ。
我慢するのをやめませんか。
今を大切に生きる。
その連続の向こうに、素晴らしい未来が待っているのではないでしょうか。
私はそう思ってます。