こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
すべてを犠牲にして働きたくはない
働き方改革、ワークライフバランスなどという言葉をよく聞くようになって来ました。
一昔前は、「社畜」などという過激な言葉もありましたね。
私は「社畜」という言葉は嫌いですけど。
私がまだ学生だったころから、
お父さんは子どもたちが起きる前に家を出て、子どもたちが寝てから帰ってくる。
寝顔は見るけど、何日も話をしていない。
そんなサラリーマンの話を見聞きしていました。
私はそんなサラリーマンにはなりたくないと思っていました。
いったいなんのために働くのか。
それは、その人それぞれの考え方があって良いのだと思います。
それでも、私は、大切な人と一緒に過ごす時間を犠牲にしてまで働きたくはない。
そんな風に思います。
大切な人と過ごす時間を優先したい
先日、このブログの記事「幸せな人生を歩むために必要なたった一つのこと」にも書きましたが、ハーバード大学で1938年から約80年間にわたり、700以上の人の人生を追いかけた成人研究において、人生において健康と幸せをもたらすのは、人間関係の質であるということが分かりました。
もちろん、それは、家族以外でも、同僚でも友人でもいいのですけれど、やはり、一番身近な家族との関係の質が大きく左右するであろうことは、想像に難くありません。
高度経済成長期から現在まで、先に挙げたような、子どもと話をする時間もないような、人生のすべてを仕事のささげるのが素晴らしいという風潮がありました。
そういうお父さんは頑張っている。素晴らしいというような。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
人生には、仕事以外にも大切にしなければいけないものが沢山あるように思うのです。
時間を大切にするとは
私たちはいつの間にか、何も生産しない時間、ただ、ぼーっと思索にふけるような時間を過ごすことに罪悪感を覚えるようになっています。
知識を詰め込み、何かを生み出し、有意義に過ごさなければ時間がもったいない。
そんな強迫観念に支配されてはいないでしょうか。
何かに熱中していなければいけないという、強迫観念にさいなまれて、それでも熱中できるものがないと嘆く人が、私のクライアントにも沢山います。
現役時代にバリバリと働いていた人が、現役を退いたのち、あの頃の用に打ち込めるものがほしいけれど見つからない。
それが悩み事になって、不眠症になって、うつ病になる。
そういう人が少なくありません。
それは、熱中できるものがない、自分の生活のすべてをささげられるものが無ければ、生きている意味がないと思い込んでいるだけなのではないでしょうか。
私は、時間を大切にするということは、「時間を味わう」ことだと思っています。
上質の音楽を味わうように、おいしい料理を味わうように、ゆっくりとかみしめるように今という時間を味わう。
それは、「熱中する」とはまた違う時間の過ごし方のような気がします。
そして、人生には味わい深い時間が沢山あります。
仕事はそのうちの一部であって、全部ではない。
人生を味わう素敵な大人を増やしたい
大切な人と過ごす時間も、なにもせずに自分一人で自分と向き合う時間も、季節の移ろいを感じる時間も、もちろん、仕事をする時間も、すべてじっくりと味わうべき、味わい深い時間なのではないかと思うのです。
そういう味わい深い時間を積み重ねていくことが、人生そのものを味わうことになるのではないかと思っています。
私は、そういう時間の過ごし方をする大人を増やしたいと思っています。
人生をじっくり味わうことが、人生の愉しみであり、そのことを知っている大人が増えることで、若い人たちが憧れる大人が増えるような気がします。
人生って素敵だなあ。
歳を重ねるって素敵なことだな。
仕事をするって素晴らしいことだな。
そう思える若者を増やすことで、この社会が幸せに満ちたものになるのではないかと思うのです。