こんにちは!
スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です。
今日も、私のストーリ―を凝りもせずにかこうと思う。
おっとりとした気質だった
私の子どもの頃のエピソードを聞くと、私は生まれながらにしておっとりとした気質だったらしいことがわかる。
七つ年上の双子の姉がまだ小学生だったころのこと、私は当然、就学前だったわけだけれど、姉たちが学校での夏休みのプールに行くときに私を学校に連れて行き、水泳を習っている間、学校の砂場で遊ばせていたらしい。
「ここから動いちゃだめだよ。」
そういわれた私は、姉たちが戻ってくるまで、大人しくずっとそこで砂遊びをしているような子どもだった。
私自身も4人の子どもを育てている経験上、就学前の子どもを一時間近くほったらかしにしておくことなんて考えられないのだが、私が小さい頃は、そういう事が可能な子どもだったということだ。
母親の証言でも、小さい頃はずっとおとなしく座って、マッチ箱の中のマッチをすべて出しては、それをまた、マッチ箱に戻すということを、延々繰り返しているような子どもだった、ということがわかっている。
そのような、おっとりとした気質は、今の私にも受け継がれている。
これはおそらく、死ぬまで変わらないだろう。
少なくとも、じっとしていられない多動児ではなかった。
持って生まれた気質は変えられない
心理学の世界では、持って生まれた気質(キャラクター)は変えられないとされている。
確かに、子どもの頃の友人に会うことがあればわかると思うけれど、何年たっても、人は大きく変わることは無い。
それは、持って生まれた気質の部分は変えられないからだ。
私の場合は、大人しくおっとりとした気質を持っているのだ。
それは今更、変えることはできない。
ある種の、運命というものなのだ。
人格は変えることができる
しかし、心理学の世界では、人格(パーソナリティー)は変えることができるとされている。
人格は、ものの考え方や捉え方、行動パターンから形成されているので、これは、多分に後天的な部分なのだ。
後天的な部分を変えることは可能なのである。
多くの人は、変えられない気質と、変えられる人格を混同している。
カウンセリングをしていると、
「私はそういう人間だから」とか
「遺伝だから」
と言って、最初から変えられないものだと諦めている人がいるが、そうではない。
モノの見方、受け止め方、考え方、反応の仕方、行動パターンは変えることができるのだ。
人生のスタートラインは同じではない
昨日のブログの中でも、人生のスタートラインは同じではないと書いた。
どのような家族に生まれるか、どのような時代に生まれるか、そういうことは選べない。
裕福な家庭に生まれる人もいれば、そうでない人もいる。
長男に生まれる人もいれば、次男に生まれる人もいる。
素晴らしい人格の親に育てられる人もいれば、虐待を受ける人もいる。
そういうのは運命だし、受け入れるしかない。
環境もそうだけれど、どのような気質を持って生まれるか、どのような能力を持って生まれるか、どのような容姿を持って生まれるか、どのような体質を持って生まれるか。
そういことも、自分では選べない。
あふれる才能をもち、それを生かす環境が整った場所に生まれた人は、スタートラインからアドバンテージを持っている。
でも、環境が最悪だったら、それはマイナスからのスタートを余儀なくされていることになる。
だから、他人と比較することに意味はない。
もともとスタートラインが違うんだから、それは運命だと思って諦めて受け入れるしかない。
学校に入ると、同じ年齢の子どもたちが同じ環境で勉強をすることになるから、スタートラインが同じであるように思いこんでしまうのだが、そうでなない。
人生は決して平等でも公平でもない。
それは受け入れるしかないんだ。
変えられるところを変えていくしかない
じゃあ、どうすればいいかと言えば、現状を受け入れて、変えられることを変えていくことを続けるしかない。
いま、自分が持っているモノをどのように生かしていけば、今よりもより良い人生を歩むことができるのか。
そのことに意識を集中することが大切なのだ。
産まれた環境を恨み、自分の才能の無さを嘆き、持てる者を羨んだところで、事態が好転することは無い。
そんな時間やエネルギーがあるんだったら、現状を好転させることに集中したほうが良い。
それが、自分の人生をよりよいものにしていく唯一の方法なのだ。
さて、あなたはどうだろうか。
自分の運命嘆き、自暴自棄になっていないだろうか。
まだまだ、改善の余地があるのに、諦めていないだろうか。
そんな生き方はもったいない。
過去を恨まず、どんどん捨てていけばいいのだ。
それが、より良い未来をつかむための唯一の方法なのだから。