こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
私事ですが、最近、とても幸せです。
特に何かいいことがあった、ということは無いのです。
状況は何も変わっていない。
変わったことといえば、「与えること」とかgiverの精神というか、その本当の意味がわかった、腑に落ちたこと。
この、「腑に落ちる」という部分が変わったのです。
この話、このブログで何度も書いているんですけれど、大事な話なので、しつこく書きたいと思います。
「先に与えよ」は間違っていた
よく、ビジネスの指南書とかに出てくるんですけれど、
「先に与えなさい」というのがあります。
見込み客に対して相手が喜びそうなもの、たとえば情報とか知識とか、試供品のようなものとかを与えてなさいと。
そうすれば、相手は自分に興味を持ってくれて、購買や契約につながりますよ。
というアドバイスです。
これは、至極まっとうなアドバイスです。
あるいは、「情けは人の為ならず」という言葉があります。
人に情けをかけると、巡り巡って自分に帰ってきますよ。という意味にとらえる人が多いですよね。
(「情けをかけるのはその人のためにならない」と解釈するのは明らかに間違っていますけれどね)
これも、一見正しい、というか、素晴らしい言葉のように感じます。
でもね、でもね。
なにか、無理を感じませんか。
なにか、違和感を感じませんか。
なにか、後ろめたさを感じませんか。
その裏にある欺瞞
「まずは先に与えなさい。」は、欺瞞に満ちている。
だって、最後の目的は、売り上げですよね?
結局、奪うのが目的。
takeが目的。
先にこれあげるから、買ってね♡
ということ。
これは、本物のgiverの精神ではないし、与えるマインドではない。
与えるマインドという衣をまとった奪うマインドなのです。
これだと、どうしても見返りを期待してしまう。
そして、期待した見返りがないと、がっかりしたり、イライラしたり、苦しくなったり、与え続けることが出来なくなったりします。
さらに、与えることが怖くなります。
だって、期待したものが返ってこなかったら、損した気分になるから。
損したらいやだなあ、って思うから。
それから、欺瞞を見破られる恐怖を感じます。
そんな良い人ぶっても、結局売り込みでしょ?
って、見透かされてしまうのが怖いのです。
「与えるのが先」と言われても、行動できない人、苦しい人は、本物の与えるマインドがどういうものなのか、腑に落ちていないんですよ。
本物の与えるマインドとは
本物の与えるマインドというのは、与えること自体が楽しいのです。
相手の喜ぶ顔が嬉しいのです。
自分が役に立っていると思うこと自体で満足できちゃうのです。
その行為をすること自体が嬉しいんだから、見返りなんていらないのです。
見返りがいらないから、損したとは思わないわけです。
損得勘定で動いていないから。
欺瞞がないから、怖くないんです。
「情けは人の為ならず」の本当の意味は、「人に情けをかけるのは気持ちいいからだよね」ということなのです。
「いいことをしたなあ自分」って思うと、なんかこう、ほっこりとした気分になるじゃないですか。
それがいいんだよね。
ということなのです。
めぐり巡って何かいいことがあるんじゃないんですよ。
もっとダイレクトに来るんです。
そのことに気が付いてしまったので、何だろうなあ、重圧から解放されたというか、損得勘定がから解放されたというのかなあ。
とにかく、「稼がなければいけない」という思い込み、強迫観念から解放されました。
儲けは社会からのご褒美
経営の神様の松下幸之助さんが「儲けというのは、社会貢献にたいしての社会からのご褒美」というような主旨の発言をされています。
言葉は知っていたけれど、その本当の意味が私には理解できていなかったんだなあ、と思います。
奪うマインドの人には、きっと理解出来ないと思うのです。
私はご褒美を期待せずに、与えられる人になります。
なぜなら、それが楽しいから。楽だから。気分がいいからです。
これ、本当に気分がいい。
こういう感覚って、感覚だからね、腑に落ちないとね、ストンと。
頭で考えていても、感覚的に解らない。
与えるのが嬉しい。
損得勘定がない。
これって、本当に気持ちのいいことです。
だから、ここのところ、気分がいいのです。
これは、幸せを感じられるマインドなのです。