こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
なにごとにもちょうどよい所がある
カラダのこと、ココロのこと、いろいろと学んでいるうちに、気づいたことがあります。
それは、なにごとにおいても、ちょうど良いところがあるということ。
運動にしても、やりすぎればカラダを壊すけど、やらなさすぎもダメ。
食事も、食べなければダメだけど、食べ過ぎもダメ。
働くのだって、全く働かないのはダメだけど、働きすぎはダメ。
怠けてばかりではだめだけど、頑張り過ぎるのはダメ。
あと、関係ないけど、政治的な右とか左というイデオロギーについても、両極端はダメで、その中間にちょうどよいところがどこかにあるわけです。
ちょうどよいって難しい
それでもって、このちょうどよい所、というのが曲者で、どこかちょうどよいのかというのがわかりにくいわけです。
わかりにくいだけではなくて、外的な要因の影響もうけたりするので、時々刻々と変化しているということ。
バランスをとる、というのは、例えば、手のひらの上に傘を立ててバランスをとる、なんていう遊びをやったことがあると思うんですけど、
この場合、常に意識を集中して、手のひらを常に動かしていなければいけないわけです。
右に倒れそうになったら、右に少し動かしてバランスをとる、という具合にね。
それで、外的要因が影響するということは、たとえば風が吹いている屋外でこの遊びをやるようなものです。
こうなると、常に傘のバランスに意識を集中して、手を動かし続けなければならないわけですよ。
これが、バランスの難しさです。
試行錯誤の連続
この時必要なのは、フィードバックです。
傘がどちらに倒れそうになっているのかを素早く察知して、手の位置を変えなければいけない。
フィードバックがないと、バランスをとることが出来ずに、すぐに倒れてしまいます。
なにごとにおいても、これをずっとやっていかなければいけない。
それが人生です。
言い方を変えれば、試行錯誤ですよ。
試行錯誤の連続が、人生であると言えるわけです。
バランスより両極端のほうが分かりやすい
ところがです、このバランスをとるとか、その中間というのは、表現するのが難しいわけです。
非常にあいまいな表現になってしまうのです。
それよりも、両極端のほうが分かりやすいわけです。
私は、もともとエンジニアだったし、理系脳だったので、たとえば物理学なんかは、この両極端が結構好きなんですよね。
現実的にはあり得ないような単純な条件で考えたほうが、分かりやすいからです。
両極端は非現実的
そんなわけで、人はとかく、極端状況を考えがちですが、そういう状況になる事は得てして稀なわけです。
例えば、自分の将来について、ビル・ゲイツとまでとは言わなくても、大金持ちになるか、はたまたホームレスになるか、両極端を思い描く人は多いです。
でも、大多数の人たちは、そのどちらでもない、その中間に収まるわけです。
政治的な話だってそうです。
ネット上では、やれ、ネトウヨだパヨクだと、自分とは相いれない意見を持っている人たちに向かって、レッテルを張って暴言を吐いている人たちがいますが、多くの人たちはそのどちらでもないわけです。
でも、実際の政治というのは、こちらを立てるとあちらが立たない、というような問題を、ちょうど良いところで収めようとすることですよね。
ようするに、バランスをとっているわけです。
しかも、傘のバランスをとるのに比べれば、はるかに複雑なわけです。
それを単純に、右と左に分けるなんて出来ないはずなんです。
あー、話が逸れました(汗
絶対的な正解はない
話を元に戻しますが、要するに、バランスをとるということは、常に結果をフィードバックさせて、微調整を繰り返すことです。
そこに、絶対的な正解があるかといえばそうではないわけです。
ところが、多くの人は正解を求めようとします。
ずっと、試行錯誤を繰り返していくのは、何となくすっきりしないからです。
これが正解だ!
というのがあれば、すっきりするし、試行錯誤をやめられると思うからです。
でも、そんなものは無いのです。
常に揺れ動くのが人生なのです。
人生とは揺れ動くものである
常に揺れ動くのが人生である。
そう思っていればいいじゃないですか。
迷いが生じるのも人生。
うまく行かないことが起こるのも人生。
いい時も悪い時も長くは続かない。
必ず波はやってくるのです。
どんなに頑張っても、風が吹けば傘は倒れそうになるのです。
自分の力では風まではコントロールできないわけです。
まあ、そんなわけで、今日も風に吹かれて生きましょう。
仕方がないじゃないですか、生きているんだから。
そんな人生なので、目の前にある幸せに気がついたもの勝ちです。
それを幸せであると認識できるかどうか。
その違いで、かなり気分が変わってきますよね。