こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。
成長のイメージ
成長する、という言葉を聞いて、皆さんはどういうイメージを持つでしょうか。
例えば、年々、植物が、木が大きくなっていくように、徐々に少しずつ成長していくようなイメージでしょうか。
それとも、幼虫がさなぎになって、ある日突然、成虫として出てくるようなイメージでしょうか。
もちろん、人間はさなぎになって、全く違う姿に生まれ変わることはありません。
どちらかというと、木が少しずつ大きくなっていくようなイメージを持っていると思います。
私も、そう思っていました。
すなわち、過去の延長線上に未来がある、連続しているイメージです。
確かに、人間の場合、外見上の成長は、徐々に少しずつ大きくなっていくので、過去の延長線上に未来があるという感じです。
この外見上の成長(変化)は連続的です。
ある日突然、変身することはありません。
ある日突然変化する
しかし、内面の成長はどうか。
内面の成長は、ある日突然変化するのではないか。
そこに連続性はなく、不連続なポイントがあるのではないか、ということに気がつきました。
例えば、スポーツなどをしていると、繰り返し繰り返し練習を続けているときに、ある時突然にできなかったことができるようになります。
この時に、何か(コツとか、感覚)を掴むわけです。
その瞬間に、不連続が起こっている。
何かに悩んだ時、ある時パッと解決策がひらめく。
何かか降りてくる(笑)
そこに、不連続が生じるのです。
つまり、それが気づきです。
その不連続が起こると、後には戻らない。
過去と現在はつながっていないのです。
未来は現在の延長線上にあるわけではない
この、不連続が起こる。
未来は過去の延長線上には無い。
つながっていない。
これまで走ってきたレールから、隣のレールに飛び移るとか、
これまで使ってきたOSを別のものに乗せ換えるとか、
エンジンを載せ替えるとか、
脳を入れ替えるとか、
ジャンプアップするとか、
さなぎから成虫になるとか、
そういう、突然変異を起こすのが成長と言うことなのではないかと気がつきました。
そのイメージが、まさに、突然に降ってきたわけです。
自分の未来は、今までの延長線上にあるとは限らない。
過去に縛られる理由
カウンセリングをしていて良く思うことなのですが、自分の過去に縛られている人が多いですね。
過去を過去として、今の自分とは違うんだ、という認識を持つことができない。
過去を捨てることができないというのかなあ。
それはきっと、今の自分は過去の自分の延長線上にあって、つながっていると思っているからではないでしょうか。
つながっていると思っているから、過去の自分を捨てることは、今の自分を否定すような気がするのではないでしょうか。
それから、セルフイメージというものも、成長の邪魔をしているような気がします。
自分はこういう人間である。
という過去に自分からイメージする、セルフイメージです。
セルフイメージに縛られているから、不連続を受け入れられないのかもしれません。
過去の自分と今の自分は違う人間である
でも、成長とは不連続が起こることだと認識していれば、過去の自分と現在の自分の間には、沢山の不連続点があるというイメージになります。
すなわち、過去の自分と今の自分は違う人間であると、つながっていないというイメージになります。
もうすでに、あの頃の自分とは違う。
そう思うことができれば、過去は過去として、過ぎてしまったものとして扱うことができるのではないかと思うのです。
そういう感覚になった時に、気づきを得やすくなる。
気づきを受けれることが容易になる。
過去に引きずられることが無いから、成長しやすくなるのではないでしょうか。
しかも、不連続ですから、一気にガラッと変身して、ジャンプアップすることもある。
別の言葉で表現すれば、変身かな。
ちなみに、幼虫からさなぎになって成虫になるのは変態というそうです。
卵から幼虫→孵化(ふか)
幼虫からさなぎ→蛹化(ようか)
さなぎから成虫→羽化(うか)
だそうです。
蝶になって大空を舞おう
人間の成長は、連続しているように見えて、不連続的に成長していく。
成長とは、不連続点を通過することなのではないでしょうか。
そう考えれば、一気に大変身を遂げることも可能だし、過去に縛られる必要もないということ。
さなぎから蝶になって、大空を舞うことができるようになるということです。
私はこれから、そういうイメージで生きていこうと思います。
人間はいつでも蝶になることができる。 そして、大空を自由に飛ぶことができるようになるのです。