こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。
今日は3月11日です。
東日本大震災から6年が経ちました。
私たちは、あの震災から沢山のことを学びました。
しかし、6年も経つと、その学びを思い起こすことが少なくなり、少しずつ風化していきます。
天災は忘れたころにやってくると言います。
あの震災から学んだことを、生活の知恵として伝えていくことが大切なのではないかと思います。
被災地に行って整体をして来た
私は、震災のあと、整体学校時代の同級生から、とある人が被災地に整体師を派遣したいと言っているので手伝ってほしいという電話を受けました。
当時私は、私の母校である整体学校で講師を務めていましたし、OB会の会長をしていましたので、その関係で、整体師の卵や卒業生に声を掛けられる立場にありました。
そんなわけで、被災地に行きたい、何かお手伝いをしたいという整体師を集めて、被災地に出かけました。
最初に出かけたのは、5月の末ごろで、南相馬市の避難所になっていた体育館でした。
その後、7月には宮城県の気仙沼市の体育館や公民館などを回りました。
多くの人が仮設住宅に移ってからは、南相馬市の仮設住宅を10回ほど訪れました。
私たちに出来ることは、被災した方のお話を聞きながら、体をほぐして差し上げる事だけでしたが、一時だけでもリラックスしていただけたら、なにかのお役に立てたかなあと思います。
被災した方々のお話は、壮絶な避難生活や、肉親を失った悲しみや、将来の不安など、さまざまでした。
私に出来ることは、ただ聞くことだけ。
気の利いたことを言おうとしても、それは無駄であることが分かりました。
ただただ、聞くことしかできないのです。
南相馬と気仙沼の違い
最初に訪れたのが南相馬市。
その次が気仙沼市。
この二つの被災地の空気は、全く違いました。
南相馬市は、ご存知の通り原発の問題を抱えていました。
それに対して、気仙沼市は原発の問題はありません。
原発の問題を抱えていない気仙沼市は、将来を見通すことが出来ていました。
私たちが訪れた体育館を管理していた市の職員の方が、私たちが帰るときにこんなことを言っていました。
「気仙沼は本当にいいところです。復興したら今度はぜひ観光にいらしてください。」
その表情がとても明るかったことが印象的でした。
一方の南相馬市の方々は、将来の展望が全く見えていませんでした。
いつになったら家に帰れるのかわからない。
帰れるようになっても、これまでのような生活が出来るのかわからない。
もちろん、自分の健康問題も心配。
健康問題が心配なので、小さな子供を抱える家族は南相馬市を離れて、一家離散状態になってしまった人も沢山いました。
いつになったら、また、家族で一緒に暮らせるのか。
そういうことが、全く見えていないのです。
おそらく、そういう苦しい中での生活は、今も変わらないのだろうと思います。
最近、福島から避難している子どもたちがいじめられているという問題が取り上げられています。
故郷を追われて苦しい状況にある人を、さらにいじめるなんて考えられません。
しかし、そういう話は、子どもたちの問題だけは無く、大人にもあるようです。
原発事故は今なお続いている、現在進行形の問題です。
6年前の話ではないのです。
思い知らされた原発の怖さ
あの震災で、強烈に私たちの印象に残ったのが、原子力発電の怖さです。
この問題は、政治的なイデオロギーとは分けて考える必要がると思います。
原子力発電には、とても恐ろしい問題点があることを身をもって知ったのですから、より良いエネルギーを求めて行くことは、とても自然なことだと思います。
もっと安全で、もっと扱いやすいものを開発していくことが、人類が進む方向ではないか、と単純に思います。
それが自然ですよね。
もちろん、巨大な利権構造があるようなので、すんなりとはいかないと思いますが、方向性としては、そちらを指向するのが自然です。
健康問題を扱う私としても、この問題はとても気になります。
ぜひとも、より安全なものを開発してほしいと思います。
私が訪れた仮設住宅
ふつうに生活が出来ることに感謝
いつものように目覚めて、
いつものように朝食を食べて、
いつものように仕事に出かけ、
いつものように帰ってきて、
いつものように寝る。
こういう当たり前のことが出来る、ということがとてもありがたいこと。
そのことを、私たちは忘れてはいけいないのではないかと思います。
ありがたい。
感謝。
その気持ちを忘れなければ、日々を心穏やかに生きていけるのではないでしょうか。
そいうことを意識する、今日はそういう日なのではないでしょうか。