リワークプログラムに対する疑問-メンタル疾患対する理解が足りない

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こんにちは!
BBトレーナーの渕脇です。

昨日、ちょっと気になる話を聴いたので、ここに書きたいと思います。
それは、リワークプログラムについての話です。

リワークプログラム参加者の声

リワークプログラムというのは、精神疾患などで長期休職している人が職場復帰を目指しておこなうリハビリテーションのことです。

過去に、このプログラムに通っていたという方にお話を伺ったのですけれど、その方いわく、あまりにもシステマティックではっきり言ってストレスだった、という主旨のお話をされていました。

毎回、厳しいことを言われてへこんでしまって、全く気持ちが休まらなかったと。

メンタルを病んで、傷ついている人に対して、そういう対応をしているんだということを知って、首をかしげてしまいました。

それでは、治るものも治らなくなります。
逆効果なんじゃないかなと思うのです。

少なくとも、メンタル疾患の専門家の方々が運営しているはずの機関でそのようなことが行われているというのは、いったいどういうことなのだろうかと、考えてしまいました。

システムに適応できないと生きていけないのか?

これは私の考えなんですけれど、この社会は高度にシステム化されていると思うのです。
そのシステムの中で生きていけるようになることが、社会に適応することであると、それが常識になっているように思います。

多くの大人がそう思っているので、子どもたちもそのように教育されています。
大人になるということは、システムに適応することであると。

その考え方が、このリワークプログラムにも表れているということを強く感じます。

システマティックにプログラムが進められていき、プログラムを終了できれば社会復帰できると、まるでベルトコンベアに乗せられた工業製品のように、世の中に押し出されていくようなイメージです。

人間は自然の産物です

でも、人間は工業製品ではありませんよね。
自然の産物なんです。
自然の一部なんです。
そういうシステムとは、そもそもなじまない存在です。

とくに、メンタルを病んでしまった人は、そのシステムになじめずに疲弊してしまった人たちです。
そういう人たちを救うには、まずは、システムになじむ必要などない、ということを解ってもらうことが大切なのです。

その上で、システムに利用されるのではなく、主体的にシステムを利用する側に回る方法を一緒に考える必要があるのです。

でも、リワークプログラムで行われているのは、また、そのシステムに利用される側としてシステムに戻ることを目指しているように感じます。

それでは問題を解決することはできません。

大量生産、大量消費型のシステムはもう古い

いま、精神を病む人たちが増えています。
それは、大量生産、大量消費型のシステムの負の側面が出てきているのです。

人はそれぞれ、個性を持った個人という存在です。
しかし、効率を求めて個性を殺してきたのが、今の社会システムです。

そのシステムの中で生きていくために、個性をも殺すことが大人になることであると教育されてきました。
真面目な人ほど、真面目に個性を殺そうとしてきました。
それをやればやるほど、メンタルを病んでいくのです。

でも、本当は個性を大事にして活かすためのシステムを作って、それを利用できるような社会を作らなければいけなかったわけです。

実は今、インターネットやAIなどの技術革新によって、個性を生かす社会システムの構築が可能になってきています。

大量生産、大量消費型のシステムはもう古いのです。

今のリワークプログラムは、古いシステムに復帰させるためのプログラムになっているのではないでしょうか。

メンタル疾患に対する社会的な理解がまだまだ足りない

なぜ、メンタル疾患になるのか。
その理解が、まだまだ社会的に認知されていないように感じます。

それは、リワークプログラムのように、その専門家集団でさえも、このようなことを行っているのであれば、それは仕方がないことかもしれません。

私は、過去にうつ状態に陥って、大変苦しい思いもしました。
当事者だから、解る事があるのです。

もっともっと、当事者の声を大きくしていく必要があるのではないかと、昨日のお話を伺って思いました。

この声を大きくして行くにはどうすればいいのか。
これからも考え続けますし、このブログでも発信していきたいと思います。

人間は自然の一部です。
本来、システムにはなじまないものなのです。

それが大前提です。
その前提のもとに、システムを作り直す必要があるのです。