自由と民主主義と精神疾患の関係-日本は教育を見直すべき

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こんにちは!
スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です。

教育が気になる

今、僕が最も関心を持っているのが、実は教育なんだよね。
目指すところは、日本人の精神疾患を減らして、みんなが幸せに暮らせる社会を作る事なんだけど、

じゃあ、なぜ、日本人の精神疾患の患者がどんどん増えるのか、ブラック企業やサービス残業や過労死が減らないのか。
どうしたらそれを減らすことができるのか。

その根源をたどっていくと、やはり教育かなあと思う。

自分が20年前にうつ病になってからずっと、どうして日本人はこんなに苦しそうなんだろうかって、ずっと考えていて、うすうす教育を変えていかないといけないんだろうとは思っていた。

でも、そのころは、どう変えていけばいいのか、というところまでは解らなかった

でも、その答えのヒントつかんだのが、去年の暮れに参加したデンマーク関連の講演会で、デンマークの義務教育の目的は「自由の本質を教える」事だと聴いた時。

こんにちは!スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です! 昨日のブログ「幸福な国デンマークの凄さに驚いた件-デンマークから学ぶこと①」に続き、第2弾を書くよ。 今から書くことが、ある意味、...

自由の本質

自由って何だろう。
あなたはどう考えるだろうか?

これは僕の考えなんだけど、人間って、生まれながらにして自由な存在なんだよね。

自分がどうしたいのか、これからどうするのか、最終的には自分で判断すればいいんだと思うんだ。

でも、同時に、人は一人では生きていけない。
誰かと協力してい生きていかなければいけないという宿命のもとに生まれている。

それが、社会的動物と言われるところだよね。

それで、他人と協力をしあうという場面になった時に、お互い自由な人間が協力し合うということになるわけだから、まずは意見を出し合って、合意形成をする必要があるわけだ。

お互いに自由な人間同士が、平等で対等な立場として、合意形成をする。
お互いが納得したうえで、協力していこうということになる。
これが人間関係の基本だ。

そして、その合意だって、いつでも変えることができる。
変える時も、やっぱり意見を出し合って、話し合いで決められるわけだ。

そして、自分が決めたことに対して責任を負うのは自分であるという覚悟。

だから、自由というのは、自分の頭で考え、自分の意志で決定し、自分の意見を表明し、その意見を尊重され、責任を背負うことで担保されるというわけだ。
もちろん、そういう他人の自由を奪うことは誰にもできない。

結局、それって、民主主義だよね。

日本人は民主主義を教わっていない

でも、日本の教育では、そんなことは教わらないよね。

先生や親や目上の人の言うことを聞きましょう、という教育を受けている。
一方的に、先生が教えたことを必死で丸暗記して、テストの点数で評価される。

周りの人たちを違う意見を持つことを尊重されない。
協調性という名のものとに、同調圧力を教え込まれる。
和をもって貴しとなす、と言われて自己犠牲という名の我慢を求められる。

一度決めたことを変えることを良しとしない。
議論を好まない。
空気を読めと言われて、なあなあで済ませてしまう。

こういうのは全部、自由というものを本質的に掘り下げたことがないからだろう。

つまり、民主主義というものが、みんなの自由を担保するものであるということを教わっていないんだよね。

だから、自尊心が低くて、投票率も低い。
投票率の低さが、民主主義が定着していないことを表している。

自由の本質を考えてみる必要がある

日本人は、「自由の本質」を考えてみる必要がある。
僕はそう思っている。

自分の頭で正解を求めずに考える。
そして、その意見を誰かに伝える。

こういう経験を、日本人はもっとするべきだと思う。

日本人は、誰かに正解を教わって、それを疑うことなく覚えるということばかりをやっている。

でも、正解のない問題のほうが多いし、自分の思った通りで良いということを知らない。

そこが、この国の人たちが窮屈そうに見える原因だろう。

まずは自分からやってみよう

教育を変えていくなんて、いきなりは無理だろう。
だから、まずは自分から始めるしかない。

これを読んだあなたはどう思うだろうか?
まずは、自分で考えてほしい。

自由って何だろう?
人生って何だろう?
民主主義って何だろう?

自分は言われたことを鵜のみにしているだけではないだろうか。
どこかに正解があると思っていないだろうか。

まずは自分で考える。
そこからスタートして欲しい。