こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。
母校の校歌が思い出せない
昨日は、双子の末娘の入学式でした。
娘たちは、私が通った小学校に入学しました。
私が通っていたのは、もうかれこれ40年も前のこと。
当時とは校舎は変わっていますが、体育館はそのままです。
その体育館に、40年ぶりに足を踏み入れました。
1週間ほど前、入学の準備のための書類に目を通していた妻が、小学校の校歌の下肢が書いてあるプリントを私に示して、校歌をまだ歌えるかと聞いてきました。
「そりゃあ歌えるだろう!」と自信たっぷりに答えた私でしたが、その歌詞を見てもさっぱり覚えていません。
まったくメロディーが浮かんでこないので、もしかしたら40年の間に違う歌になってのかと疑ってしまいました。
しかし、そんなことは無く、ただ私が忘れてしまっていただけでした。
自分の記憶力の無さはわかってはいたことですが、改めて突き付けられて、軽いショックを受けてしまいました(苦笑)
校歌と一緒に子ども時代を思い出した
ところが、昨日、入学式に先立って、転校する次男に付き添って始業式に参加したときのこと。
子どもたちは始業式も校歌をうたっていました。
それを聞いていたら、はっきりと思い出しました。
校歌が変わっているなんてことはありませんでした。
それは、私がかつて歌っていたものでした。
その後、娘たちの入学式に参加しました。
一通りの式典の後、二年生が新一年生のために、楽器の演奏と歌をプレゼントしてくれました。
そして、最後に校歌を元気いっぱいに歌ってくれました。
二年生が元気いっぱいに校歌を歌う姿を見ていたら、そこに自分の小学生時代の姿がありありと思い出されて懐かしさで胸がいっぱいになり、なぜだか涙があふれてきました。
私もかつてあの元気な二年生のように、一生懸命この校歌を歌っていたなあと思い、当時の純粋な子ども時代の感情までもが、鮮明に蘇ってきたのです。
子どもの純粋さに癒される
最初は、校歌の歌詞を読んでもさっぱり思い出せなかったのに、歌を聴き、さらには小学生の一生懸命歌う姿を見ていたら、自分の小学生時代が鮮明に蘇る。
歌や音楽には凄い力があるんだということを改めて思い知らされました。
また、記憶とは不思議なもので、忘れてしまったと思っているような記憶でも、何かのきっかけで鮮明に読みがってくるものなんだということも経験しました。
忘れてしまったと思っているようなことも、脳のどこかの片隅には残っているものだと聞いたことがあります。それは本当のことなんだと思いました。
さらに、子どもは時代は純粋で目の前のことに一生懸命だったんだ、ということも、ありありと思い出すことが出来ました。
将来の不安も、過去の後悔もなく、ただ目の前にあることに純粋に取り組んでいました。
そして、そういう純粋な状態を思い出したことに、とても癒された自分がいました。
昨日はそんな素敵な体験をしました。
子ども時代は純粋で幸せだったのに、いつからこんなにひねくれた大人になったのでしょうか(笑)
その辺の謎を解明することが出来れば、あの純粋さを失わずに大人になれるかもしれません。
そこには、間違えた教育方法があるように思うのですが、いかがでしょうか。
そのあたりについても、今後、このブログに書いていこうと思います。
そんなわけで、昨日は、子ども時代の自分に触れることが出来てとても癒された、そんな素敵な一日でした。