自分を傷つけていることに気がつかない人々
僕は仕事柄、心を病む人、生きづらさを感じている人と話をすることが多いんだけど、そういう人の多くは、自分で自分を傷つけていて、そのことに気がついていないんだ。
もちろん、本当に苦しい状況に追い込まれている人もいるんだけど、そういう場合においても、自分を傷つけることをやめれば、解決の糸口が見えてくることがほとんどなんだ。
だから、僕は、カウンセリングをするときには、その辺を気をつけながら話を聴いている。
この人は、自分を傷つけていないだろうか?
そこを注意深く聴いている。
完璧ではない自分を丸ごと受け入れる
どんな人でも、完璧な人はいない。
失敗もするし、ずるいこともするし、怠けることもあるし、弱さもある。
それが人間というものだし、そういうものをすべて否定して、自分はダメなやつだと自分を責める。
完璧を目指せば、生きていくのが辛くなのは当たり前なのに、それを受け入れることができない。
それが苦しみの根源にある、ということに気がついてほしい。
教育に問題がある
これはたぶん、教育に問題があると思う。
学校教育の問題だけじゃない。
親の育て方の問題である。
子どもの頃に、ダメなことを指摘され続けてきた子どもは、自分のダメなところが許せなくなってしまう。
まあ、人間だから、そんなこともあるよねって、ダメなところも受け入れられて育てられた子どもは、自分のダメなところも受け入れることができる。
これはとても重要な問題だ。
子どものダメなところも受け入れるのは、親の責任だと思う。
その親自身が、自分のダメのところを受けれることが出来ていなければ、子どものダメなところを受け入れることは難しい。
そうやって、だめな自分も丸ごと受け入れることが出来ないという状態が受け継がれていく。
努力なんてしなくていい
努力はしなければいけないモノだと思っている人って結構多い。
無駄で無意味な時間を過ごすことに罪悪感を感じている人も多い。
時間は常に有益に使わなければ行けないと思う。
無駄なこと、回り道はしてはいけないと思う。
常に努力を続けて、向上しなければいけないと思う。
いやいや、そんなことないから。
僕たちはいったい何のために生きているんだろう。
努力するために生きているんだろうか?
そうじゃないよね。
幸せになるために、幸せを感じるために生きているんじゃないのかと思う。
努力せずに幸せを感じることができるなら、それでいいじゃないかと思う。
努力って、僕は娯楽みたいなもんだと思う。
ある人にとっては、努力は楽しい。
努力して、自分の能力が上昇していく。
その過程が楽しいから努力する。
でも、楽しくないならしなくていいんじゃないかな。
だって、娯楽だもの。
努力はしなくていい。
したければすればいい。
自分を守るのは自分
結局、自分を守るのは自分なんだよね。
自分で自分を傷つけていたのでは、だれもあなたを守ることはできない。
サッカーのゴールキーパーが、自分のゴールに向かってボールを蹴っているようなもので、それはだれにも止められない。
ボールをける方向が違うんだよね。
ゴールキーパーの仕事は、相手が蹴ってきたボールから、自分のゴールを守ることだよね。
それを、相手と一緒になって自分のゴールに向かってボールを蹴ってどうする。
自分を責めるのをやめて、自分を守ろう。
よしよし、大丈夫だよ。
そういう言葉をかけてあげよう。
それだけで、ものすごく生きるのが楽になるから。