【書評】「幸せになる勇気」を読んでわかったこと

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こんにちは。
カウンセラー整体師の渕脇です。

アドラー心理学ブームを引き起こした話題作「嫌われる勇気」の続編である「幸せになる勇気」(岸見一郎、古賀史健著)を読みました。
前作の「嫌われる勇気」を読んで、アドラーに興味を持った私は、この本もとても興味深く読みました。

「嫌われる勇気」同様、アドラー心理学を研究する哲人と、人生に悩む青年の対話という形で、アドラーの教えを哲人が丁寧に解説していきます。
今回の「幸せになる勇気」でも、同じ青年が前作の対話から3年後に再び哲人の元を訪ねて来て、再び対談をするという想定で話が進んでいきます。

話題の中心「愛」

この本の中から、気になる部分を抜粋してみます。

「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるのは、答えは明らかでしょう。あなたの価値を決めるのは、ほかの誰かではないのです。

親からの愛されることを希求せざるを得ない時代に、自らのライフスタイルを選択している。しかもその「愛されるライフスタイル」を強化しながら年齢を重ね、大人になっていく。
与えられる愛の支配から抜け出すには、自らの愛を持つ以外にありません。愛すること。愛されることを待つのではなく、運命を待つのでもなく、自らの意思で誰かを愛すること。それしかないのです。

「愛されるライフスタイル」とは、いかにすれば他者からの注目を集め、いかにすれば「世界の中心」に立てるかを模索する、どこまでも自己中心的なライフスタイルなのです。

われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。

この2冊の本を読んでみて思うのは、アドラー心理学をたった2冊の本を読んだだけでは完全に理解するのは難しいだろうなあということです。
私自身、自分が完全に理解できているとは思っていません。

それでも、この「幸せになる勇気」を読んでみて、私自身が今の時点で理解したことを書いてみます。

人は子ども時代にライフスタイルを選択する

人はそれぞれに独自の、自分に対するイメージや自己肯定感、あるいは、人生観、世界観を持っています。
その人生観、世界観を、アドラーは「ライフスタイル」と呼んでいます。

人が、最初にライフスタイルを選択するのは子供時代です。
ところが、子ども時代というのは、親(養育者)に守られていないと生きていけない弱い立場にあります。
もし、親(養育者)から見放されてしまったら、自分は生きていくことが出来なくなってしまいます。
したがって、子どもの生存戦略として親(他者)から愛されなければ生きていけないというライフスタイルを形成せざるを得ないのです。
これを、「愛されるライフスタイル」と表現しています。

子どもの生存戦略として、ある人は「いい子」になって親に認めてもらおうとするし、ある人は「悪い子」になって親の注意をひこうとします。
いい子として振る舞うことも、親に対して反抗することも、どちらも親の関心を引くことを目的に行われる行為です。

これを「愛されるライフスタイル」といい、自己中心的なライフスタイルであると言っています。

人は、この「愛されるライフスタイル」を持ったまま大人になっていきます。
大人になっても「愛されるライフスタイル」を持ったままだと、誰かに認められたい、注目を浴びたい、という欲求を捨てることが出来ません。

これを読んで、マズローの欲求5段階説の、第1段目の生理的欲求から第4段目の承認欲求と言われるところまでは、この「愛されるライフスタイル」を持っているところから起こってくる欲求であると思いました。

「他者から認められたい」という欲求は、社会的動物である人間の生存戦略として生まれてきた欲求であったことが分かります。
つまり、社会で居場所がなくなれば生きていけないという恐怖感が、生まれながらにして人間には備わっているということなのです。

これは、裏を返せば「他者から認められなければ自分の価値を確認できない」ということになってしまい、自立できないということになってしまいます。
「自分の価値を自分で決められない」すなわち、自立できない、他者に依存しなければ生きていけないというライフスタイルで、これでは幸せになることは難しいのです。

他者に依存せずに自立するためには

そして、その自己中心性から脱却し自立するには、他者を愛するしかないとアドラーは言っています。

自分が愛されるかどうかを問わず、無条件に他者を愛する。
見返りを求めずに、こちらから他者を愛するには勇気が必要だと。
つまり、自己中心性から解放されて、自分の価値を自分で決めることが出来るようになる、すなわち自立するには、自分から他者を愛するようになることが必要だと説いていのです。
その勇気が「幸せになる勇気」だというわけです。

人は子供時代に、その環境において最初のライフスタイルを選択します。
しかし、大人になるにしたがって、子どものころとは違うライフスタイルを獲得ていく必要があります。
ところが、これがうまく出来ればいいのですが、実際にはなかなか難しい。

うつ病がなかなか治らないのも、アダルトチルドレンが生きにくいのも、このライフスタイルを変えるのが難しいからです。
特にアダルトチルドレンは、「愛されるライフスタイル」を希求しているのですから、これを手放すのは相当な勇気が必要になるはずです。
他者からから愛されないということは、社会に居場所がないという恐怖を連想させます。
自己中心的な「愛されるライフスタイル」を手放し、自らが積極的に他者を愛するというライフスタイルを手に入れるには勇気が必要なのです。

マズローの第5段目の欲求である自己実現欲求を満足させるには、自立するしかありません。
アドラーの言う「愛されるライフスタイル」を手放し、自己中心性から解放されることが、この自己実現欲求を満足させるためには必要なことなのです。

この本からわかったこと

自立するためには、幼く弱い存在であった子ども時代に獲得した「ライフスタイル」を、どこかの段階で修正していくことが必要です。
修正していくには、やはり自己肯定感や自分ならどうにかなるという自信が必要になります。

つまり、もうすでに自分は幼く弱い存在ではないという感覚が必要なのです。
そのような感覚を持つためには、小さな達成感を積み上げていく必要があります。

アダルトチルドレンは、自己肯定感が著しく低く、「愛されるライフスタイル」を修正するのが困難なのだと思います。
それが生きにくさの原因なのだと思います。

また、うつ病が治りにくいのは、「愛されるライフスタイル」を修正できないからです。
「愛されるライフスタイル」を修正できれば、うつ病の再発を防ぐことが出来ます。

そして、そこから脱却していくには、勇気が必要なのです。
求めてばかりの「愛」ではなく、こちらから能動的に他者を愛し見返りを期待しない、そういう勇気なのです。

場合によっては、嫌われることもあるかもしれません。
それでも、自分の価値は自分で決めるのであって、人から嫌われたからと言って、その価値が変わることはありません。

自分には価値があるという感覚を、自分で持つことが出来るのかどうか。
幸せになれるかどうかは、結局はそこに帰結するということです。

アドラー心理学は一見シンプルに見えますが、奥が深く、非常に厳しい問題を突き付けてきます。
結局は、幸せは自分でつかみ取るしかない、そこには勇気が必要である、という問題です。
幸せは誰かが与えてくれるものではない、ということなのです。

さて、あなたは自立できているでしょうか。
嫌われる勇気、愛する勇気を持っているでしょうか。

その勇気を手に入れた時、自分の人生が自分のものとなるのです。
あなたは、幸せになる勇気を持っているでしょうか。