こんにちは。
ココロとカラダの整体師 渕脇です。
「過労死」をなくしたい!
私は、この日本から「過労死」という言葉をなくしたいと思っています。
もはや「過労死(KAROSHI)」は世界共通語となったと言われています。
こんな日本語が世界共通語になってしまったのは、本当に残念でなりません。
私がまだサラリーマンをしていたころ。
そうですね、かれこれ20年近く前の話ですけれどね。
サラリーマンの皆さんのコンディショニングに対する意識の低さに驚きました。
深酒をして二日酔いで仕事に来て一日ボーっとしている。
徹夜で作業して明らかに能率が低下している。
運動不足でぶくぶくと太っている。
だらだらと仕事をして、無駄な残業をしている。
そんな人たちの姿をよく見かけました。
私がコンディショニングに興味を持った理由
当時、私は趣味でトライアスロンというスポーツをやっていました。
トライアスロンというのは、一人の人間が、水泳、自転車、ランニングを順番に行ってタイムを競う競技です。
この競技は、持久力を競うわけですね。
持久力というのは、要するにその人の総合力を競うわけです。
ふだんからトレーニングをこなしていないと、当然のことながら結果は出ません。
トレーニングをコンスタントにこなすためには、日々のコンディショニングが重要です。
オーバートレーニングになれば、故障や体調不良の原因になって、満足なトレーニングが出来なくなります。
当然のことながら、レースの結果は散々です。
スポーツはどんなものでもそうですが、特に持久系のスポーツはコンディショニングが重要になります。
そんな事から、私は当時からコンディショニングに気を使っていたわけです。
そんな私から見ると、サラリーマン諸氏はコンディショニングにあまりにも無頓着でした。
サラリーマンに見る間違えた価値観
それどころか、
身体を壊すまで働く人は凄い!
根性がある!
働き者!
みたいな空気があって、いやいや、それは違うんじゃないのか、と疑問に思っていたのです。
練習しすぎて故障してしまたスポーツ選手は褒められないでしょう?
それをすごい奴だと言っていいのでしょうか?
むしろ、自己管理が出来ていない!
何やっているんだ!
と非難されてもいいと思うのです。
また、監督やコーチの責任も問われますよね。
練習がめちゃくちゃ厳しくて故障者が沢山出てしまって、チームの成績が低迷してしまった。
これはもう、監督の責任ということで、監督は辞任することになるでしょう。
「根性論」が根っこにある
先日この件についてぼんやり考えていたら、結局は昔スポーツ界でも幅を利かせていた「根性論」が根っこにあるんだよなあと、思いつきました。
昨年、明るみに出て問題になった、電通の新入社員の自殺問題。
上司のパワハラもすごかったようですが、その根っこにあるのは「根性論」だと思います。
私がもっと若いころ。
中学、高校時代の部活と言えば「根性論」。
もちろん、私の所属したクラブなんて弱小チームですから、それほどひどいわけではありませんでしたが、強豪校ともなるとトレーニングというよりもいじめに近い。
そのいじめに耐えきってこそなにごとにも動じない「根性」が身につく。
そんな思想が、スポーツ界を席巻していたように感じます。
ところが、こんな指導では結果が出ない。
そのことが、オリンピックなどの国際試合などで証明され、スポーツ界では今や根性論よりも、より科学的に、より合理的にトレーニングをするようになってきています。
昨年行われたリオデジャネイロオリンピックで、日本選手団はとても良い成績を収めました。
それは、日本のスポーツ界に、合理的なトレーニング方法が浸透してきた結果と言ってもいいでしょう。
やはり「根性論」では限界が来ます。
根性ではどうにもならないこともあるということです。
ビジネスで生き残っていくためにも
スポーツ界ではもはや過去の遺物となった「根性論」ですが、残念ながら日本のビジネス界ではいまだに「根性論」の亡霊が幅を利かせているようです。
私は整体師なので、健康という側面から「根性論」は危険だと思っています。
しかし、ビジネスとか、国際競争力とか、そういう側面から言っても「根性論」から離れるほうが良いと思います。
睡眠不足で疲労した頭で考えたっていいアイディアは浮かんでこないだろうし、質のいい仕事が出来るとは思えません。
これからの日本では、単純労働はどんどん減っていくのは目に見えています。
より高い付加価値を産めるようにならないと、生き残っていくのは難しいでしょう。
また、有能な社員に長く働いてもらうには、社員の健康管理が大切なのは言うまでもありません。
体調を崩して離脱してしまっては、戦力がダウンしてしまいます。
スポーツにたとえるならば、主力選手が故障してしまっては、大きな戦力ダウンになってしまいます。
働く労働者自身も、その労働者を使用する企業も、労働者のコンディショニングについてもっと真剣に考えたほうが良いと思うのです。
私は整体師として、今後もコンディショニングの重要性を訴えていきたいと思います。
仕事で結果を出すために、夢を実現するために、幸せな人生を歩むために、コンディショニングはとても大切な事なのです。