小学2年生の娘が学校に行きたくないと言い出しまして

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こんにちは!
スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です!

学校を休みがちな次女

私には4人の子どもがいる。
中学2年生の長男、小学5年生の次男、小学2年生の長女と次女(双子)。

昨年の10月ごろから、次女が数回、学校に行きたくないと言って学校を休むようになったんだよね。

はじめのうちは、朝になると、足が痛いとか、頭が痛いとか言って泣いていた。
最初の2、3回は、本当に具合が悪いんだろうなあ、と思っていたけど、学校を休むことが決まると、ケロッとして遊びだすので、どうもそうではないなあ、と思うようになった。

私も、最初のうちは、「ちょっとくらい足が痛くても、学校に行けるなら行きなさい。」なんて言ってたんだけど、あんまりそんな言い方をしていると彼女を追い詰めるだけなので、「学校なんて無理していかなくてもいいよ」と言うようにしたんだよね。

じっくり話を聴いてみた

それで、ある時、僕が自宅で仕事をする日に休んだものだから、じっくりと次女の話を聴くことにしたんだ。

そうしたら、いろいろと不満が出てきた。

友達関係がうまく行っていなかったり、先生が怖かったり、給食に嫌いなものが出たり、授業が退屈で苦痛だったりするらしい。

大人になった僕からすれば、それ位の事は学校では当たり前のことで、自分から何とかできそうな問題ばかりなんだけど、本人にとってはこの上もなく苦痛なんだろうな、と思うんだ。

先生の名誉のために書いておくけど、親の僕から見ると熱心ないい先生に見えるんだけどね。
子どもから見れば怖いのかもしれない。

泣かないで自分の気持ちを言うようになった

一度そうやってじっくり話を聴いてからは、泣かないではっきりと「学校がイヤ、学童もイヤ」と言うようになった。

次女がそう言うようになったら、今度は双子の長女のほうも学校に対しての不満を言うようになってきた。

そして、昨日はついに二人一緒に学校を休んだ。

ちなみに、5年生の次男は学校が楽しいらしく、宿題に苦しみながらも嬉々として学校に通っている。

休み時間まで自由を奪われている

次女は、クラスに仲の良い友達がいない。
学童の友達関係は複雑で、次女がはじき出されて一人ぼっちになってしまうこともあるようだ。

給食は、苦手なシイタケがいつも出てきて、それが苦痛らしい。

昨日話を聴いていて驚いたのは、昼休みにも「クラス遊び」の日が週に3日もあるらしく、クラスで決めた遊びを全員でやるそうだ。

クラスに友達がいない次女には、これもかなり苦痛なのだとか。

さらには、2年生と5年生で「仲良しペア」というチューター制度のようなものを作っていて、「仲良しペアと遊ぶ日」というのまであるというのだ。

最近の学校は、遊ぶ相手も、遊び方も自由にさせてくれないらしい。
この話を聴いて驚いた。

これでは、次女が学校を嫌がるのもわかる気がする。

人間は、自分の自由を奪われると強いストレスを感じる。
自分で自分の事をコントロールできないというのは、とても苦しいのだ。

仲の良い友達がいないクラスで、怖い先生が教える面白くない授業を行儀よく聴き、給食では嫌いなシイタケを食べ、やりたくもない遊びを強制され、一人ぼっちで学童で過ごす。

これじゃあ、学校に行きたくないと泣きたくなる気持ちもわかる。

協調性という名の同調圧力

いったいなぜ、学校は休み時間の遊びまでコントロールしようとするんだろうか?

きっと、協調性を育むとか、仲間を大切にするとか、一人ぼっちになる子を減らすとか、そういうことを考えているんだろうけれど、それって、子どもたちの自由を奪い、自主性を奪っているということに気がついていないんだろうか?

休み時間は休み時間なんだから、好きなように過ごさせてやればいいじゃないかと思う。

中には、一人で過ごすのが好きな子もいるだろう。
集団で動くのが苦手な子もいるだろう。
他のクラスのお友達と遊びたい子もいるだろう。

協調性とか、集団で動くとか、そういうのは授業の中で教えれば良い。
休み時間までコントロールされる子どもの側の視点で見ていないのは明白。

こういう画一的な教育が、子どもを追い込んでいくし、自主性を奪い、自尊心を奪うんだと思う。

その結果が、日本人全体から自主性を奪い、自尊心を奪い、同調圧力を強化し、精神的に追い込まれる人を増やしているのではないだろうか。

僕にはそう思えてならない。

協調性の前に自尊心を育てる

だから、昨日は子どもたちに対して、「学校はどうしてもイヤなら行かなくてもいいんだよ」ということを伝えた。

なぜ、学校に行くのか。
学校に行ったほうが良いのか、行かないほうが良いのか。
行きたいのか、行きたくないのか。
学校に行くか行かないかは、自分で選んで決めていいんだ。

長い人生の中で、子ども時代というのはとても大切だ。
その時代に、人生観、セルフイメージ、考え方、モノの見方、そういうものを無意識のうちに身に付けて行く。

そして、一度身につけてしまったものを変えるのはとても困難なのだ。

学校はこの時期に協調性を育もうとしているように見える。
協調性はとても大切だけど、それよりも自尊心のほうが大切だと僕は思う。

なぜなら、自尊心が良い人生を送るための基礎になるからだ。
だから、家庭では自尊心を育てるように意識している。

子どもたちはどんな人生を歩くんだろう

子どもの人生は子どものモノであって、親のものではない。

自分の人生は自分で選び、自分で歩くことができる。
そのことを教えたい。

将来のことは誰も知らない。
子どもたちがどんな人生を歩くのかなんて、僕にもわからない。

その時に、どのような社会になっているのかもわからない。

親として彼らにしてやれるのは、自分の人生を自分で選ぶことができる人に育てること。

そうすれば、あとは自分たちで切り開いていくと思う。

あ、それからもう一つ。
彼らが安心して暮らせる社会を作っていくこと。
私たちの負の遺産を彼らに負わせたくはない。

そのためにできるだけのことをしよう。