こんにちは!
スタイリッシュエイジングクラブ会長の渕脇です!
今日も懲りずにマイストーリーシリーズですよ~。
みんな仲良くしましょう
僕は、小さいころから争い事が大嫌いで、ケンカなんてほとんどしたことが無かった。
それから、大人から怒られるのも大嫌い。
そういう、マイナスの感情が湧き上がる、負の感情がぶつかり合う場面というのが本当に苦手なんだよね。
小さい子どもには、「みんな仲良くしましょう」と教えるよね。
僕は、先生や親が言うことを素直にきく子どもだったので、「みんな仲良くしましょう!」と言われると、「仲良くしなければいけないんだ」と思ってしまうところがあった。
でも、中には悪い奴もいて、わざわざ人が嫌がるようなことを言ってきて、人が困っているのを見て喜ぶような、いわゆるいじめっ子っているでしょう?
大人になっても、そういう人っているじゃない。
人をからかうことで距離を詰めているような、親しくなったように錯覚している人。
ハッキリ言って、痛い人なんだけど。
子どものころから、そういう人が本当に苦手で。
だけど、一方で「みんな仲良くしなければいけない」って思っているし、喧嘩するのはもっといやだから、何とかそういう人と仲良くしようと思うんだけと、そう思えば思うほど、嫌な思いをするわけ。
それで、自分を責めるんだ。
あの子と仲良くなれないのは、自分のせいなのではないかって。
小学校時代のことを振り返ると、それがとても苦痛だったことを思い出す。
みんなと仲良くする必要なんてない
大人になって考えてみれば、みんなと仲良くするなんて不可能だと思う。
どうしても好きになれない人とか、合わない人っていうのはいるのが普通。
それなのに、どうして大人たちは子どもに対して「みんな仲良くしましょう」とか、きれいごとを教えるんだろう?
「自分には合わない子とそれなりの距離を取って付き合う方法」とかを教えたほうが良いんじゃないだろうか?
「自分に対して意地悪をしてくる人に対する対処の仕方」とかを教えたほうが、よっぽどその子のためになると思うのだけれど。
そりゃあ、みんなと仲良く出来たらそれに越したことは無いけど、現実的ではない。
現実的ではないことを教えるという教育方法は間違えていると思う。
理想よりも現実を教えたほうが良いのではないか
僕の父は高校教師だったし、母は教師の娘だった。
親戚には教師がごろごろいる家系だったので、教師の中で育ってきた。
そんな僕が思うのは、教師って、理想を語る人たちなんだということ。
教師以外の大人たちも、理想を教える人って多いけどね。
教師には、特別多いような気がする。
もちろん、そうでない人もいるとは思うけれど。
でもそれだと、理想と現実の間にはギャップが存在していて、そこを埋めることができない人の中には、自分が未熟だからと自分を責める人が出てくる。
日本の若者が、自分に自信が持てない人が多いのはそのせいではないかと思う。かつての自分がそうであったように。
現実には、すべての人と仲良くなるんて不可能なんだけど、理想はすべての人と仲良くなることで、それができないのは自分が未熟だから。
そういう事を考えるようになる。
最初から、それは無理だからという前提で、現実的な解決方法を提示してくれたほうがよっぽどその人は生きやすくなる。
自分の時間を有効に使おう
世の中には、他人を攻撃する人がいる。
攻撃されたからと言って、自分を責める必要はありません。
理不尽な扱いを受けたら、怒ってもいいし、その人と距離をとってもいい。
その人と仲良くなれないのはあなたのせいではないし、そもそも、すべての人と仲良くなる必要なんてない。
自分と合わない人と付き合うためにエネルギーを使うなんてもったいない。
それよりも、自分と合う人、付き合っていて楽しい人、エネルギーをくれる人。
そういう人たちとの付き合いを大切にしたほうが良い。
人生は限られているし、時間は有限だし。
もっと、気持ちよく時間を使ったほうが良い。
苦痛な人間関係からは距離を置くことが、幸せになる秘訣なんだよ。