優柔不断と思慮深いの違い

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こんにちは。
カウンセラー整体師の渕脇です。

優柔不断

私は、子どものころから優柔不断で、なかなか決断が出来ない人でした。
今でも思い出す、子ども時代のエピソードに、遠足のおやつが決められない、というのがあります。

私が子どものころは、遠足のおやつと言えば、「300円まで」のように値段で決められていました。
それで、遠足の前に300円を握りしめて、お菓子屋さんに階に行くわけです。
そうすると、これがなかなか決められないんです。

何とか300円に収めようとするのですが、欲しいおやつを全部買うと収まらない。
すると、どれを諦めて、どれを取るか、どの組み合わせなら自分が最も満足するのか、そんなことを考えていると、どんどん決められなくなっていきます。

そんなこんなで、たった300円のお菓子を買うのに、ものすごい時間を費やすことになるのです。
そんなわけで、一緒についていってくれた姉にいつもあきれられるという始末です。

思慮深い

確かに、なにかを選択する、決断するというのは、大変なことだと思います。
日常の300円のお菓子なら悩むことはありませんが、子どもにとっては一大イベントの遠足のおやつとなると、これがなかなか決められない。

ましてや、人生の一大決心となると、色々な可能性を考えて考慮しなければいけません。
そういうことを何も考えずに行動するのは、あまりにも浅はかです。

さまざまな可能性を考えることは必要で、そういう姿勢は、思慮深いと言えるでしょう。

優柔不断と思慮深さの違い

私は、自分の事を優柔不断だと思っていましたし、そういう自分がキライでした。
でも、その一方で、思慮深いところがあるのはいいことだと思うようになりました。
無謀な行動は、非常にリスキーだからです。

私はこれまで、優柔不断と思慮深さというのは、単なる表現の違い、視点の違いだけの話であって、同じものだと考えていました。

しかし、この両者は、明らかに違うのだと思うようになりました。

思慮深いというのは、なるべく多くのファクターを考慮に入れた上で決断することだと思います。
したがって、考慮すべきファクターを冷静に分析して、それが済めばきちんと決断します。
決断してしまえば、速やかに実行に移すことが出来ます。

それに対して、優柔不断というのは、決断すること自体に不安を感じて、決断できない状態を言うのです。
考慮すべきファクターは検討した。
でも、不安や恐れや執着などから行動に移すことが出来ない。
そう、優柔不断というのは、自分の心理的な原因で行動に移せない状態を言うのではないでしょうか。

迷っている時間はつらい

もちろん、人間誰しも、不安や恐れや執着という心理状態を抱えているのは普通です。
それがあるからこそ、人間らしいのかもしれません。
しかし、そういう状態が長く続くのは、精神的につらい時間が長くなるだけだと思います。

思慮深く、一生懸命検討して、自分の進むべき道が見えたのならば、さっさと行動を起こしてしまったほうが、辛い思いをする時間が短くて済みます。

自分の頭の中で、悶々と、ああでもないこうでもないと考えてばかりいると、不安がどんどん大きくなって、ますます行動がとれなくなります。

具体的に解決策を考えて、それを実行してく方が、不安を感じる時間を短くすることが出来ます。

最近の自分

どうしてこんなことを書いたかというと、最近の自分の状態が、まさに、悶々としているからです。
不安にさいなまれていても、物事は何も変わらない。

現状を変えたいと思うのならば、自分から変えていくしかない。
そのことを痛感しているのです。

優柔不断というのは、決められないで悶々とすること。
実は、決められないでいる本人が辛いのです。
結局、自分で自分を苦しめているのです。

早めに行動すれば、苦しむ時間を短くできる。
思慮深く検討しているのか、悶々と決められないでいるのか。

やはり、優柔不断と、思慮深さというのは違うことがお判りでしょう。

優柔不断を卒業したい

子どものころから優柔不断な私。
こういう自分を卒業したいですね。

思慮深く検討し、決断した後は速やかに実行に移す。
不安や恐れや執着にからめとれらない。
そういう時間はもったいないし、何よりもつらい。
決断を先延ばしにしても、いいことは何もないですからね。

そういう冷静な行動をとれるようになりたいと思います。