「べき思考」から脱却せよ

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こんにちは!
カウンセラー整体師の渕脇です。

「べき思考」が閉塞感を産む

世の中にはびこっている「べき思考」。

大人とはこうあるべき。
男とはこうあるべき。
女とはこうあるべき。
親とはこうあるべき。

○○とはこうあるべき。

私は、こういう思考を「べき思考」と名付けました。

「べき思考」は相手に自分の考えを押し付ける危険な思考です。
しかし、その危険性に気が付いていないために、あたかも自分は正しいと思い込んでいて、平気で他人に自分の価値観を押し付けているのです。

SNSの発達によって、多くの人が気軽に発信できるようになりました。
それはとても素晴らしいことなのですが、この「べき思考」による発信が増えることによって、世の中の閉塞感を醸成しているように感じます。

「べき思考」は自由な発想を抑制し、多様性を否定します。
そのような発想からは、新しいものは生まれない。

多様性を否定することで、他人も自分もその思考の範囲を超えることが出来なくなります。
つまり、多くの人を縛り上げる危険な思考であると認識しておく必要があるのです。

自分の中の「べき思考」に気づこう

現状に閉塞感を感じている。
なんとな苦しい。
生きづらい。

そういう感覚を持っている方も多いのではないでしょうか。

もしかしたら、あなたは知らず知らずのうちに、「べき思考」に支配されているかもしれません。

自分の思考や言動をよく振り返ってみてください。

「それはこうするべきなんじゃないかな」
「これはこうあるべきだ!」
「あんなことはすべきではない。」
「いったい私はどうするべきなんだろう」

などと、べきという言葉が自然でに出てきませんか?

無意識のうちに「べき」という言葉を多用しているなら、要注意です。
あなたは「べき思考」に侵されているかもしれません。

「べき思考」の本質

「べき思考」は常識に縛られているとも考えられます。
また、「正解主義」とも言えるかもしれません。

どこかに正解があって、その正解を求めてしまう。
そういう考え方を「正解主義」といいます。

ところが、世の中には「正解のない問題」というのが沢山あります。
「自分の生き方」などというものは、「正解のない問題」の最たるものです。

こういう問題にも正解を求めてしまう。

正解を求める心が、常識に縛られてしまう背景にあり、それが「べき思考」につながるのです。

「べき思考」から「たい思考」へ

自分が「○○であるべき」という思考に支配されているとわかったら、自分に向かってこう質問してみてください。

「いったい私はどうしたいのだろうか?」
「どうありたいのだろうか?」

と。

「○○でありたい」
「○○したい」

という思考を、私は「べき思考」に対して「たい思考」と名付けました。
まあ、ネーミングのセンスはいまいちですけど(汗

「たい思考」は心の内側から湧いて出る思考です。
心理学的には、内発的動機付けといいますね。

これに対して、「べき思考」は正解主義につながり、答えを自分の外側に求めるので、外発的動機付けとつながるのです。

「たい思考」すなわち、内発的動機付けによって行動する時、人はワクワク感を感じることが出来ますし、常識に縛られない自由で柔軟な発想が出来るようになります。

また、それが正しいかどうかなどということに思いが及ばないので、ストレスを感じることが減るわけです。

さらに言えば、「べき思考」から解放されることで、他人に対して自分の価値観を押し付けることが無くなります。

自分だけではなく、他人を苦しめることもなくなるのです。

「たい思考」を手に入れて楽しく生きよう

「べき思考」は自分も他人も苦しめます。
「たい思考」に変えることで、とても楽しく、ワクワクしながら過ごすことが出来るようになります。

特に、子育て中の方にはおすすめです。

親が子どもにたいして「べき思考」で接するとろくなことはありません。
もちろん、必要最低限のしつけはしなければいけませんが、それ以上の「べき思考」は、将来その子どもを苦しめます。

自分も子どもも、楽しくワクワクして過ごしたいなら、「たい思考」が良いですね。

発想が柔軟になり、面白いアイディアが沢山湧いてくるでしょう。

楽しい人生を歩きたいなら、「べき思考」から脱却して「たい思考」に変わる事をお勧めします。